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ビジネスに役立つ断捨離

ビジネスに役立つ断捨離コラム  片づけたいけど、体が動いてくれない

たかが、片づけだけど、されど、片づけ。

片づけられないことを、心の大きな負荷、重荷にしている人のあまりの多さに、今さらながら、暗澹たる気持ちになることがある。しかも、その訴えは、重症化している。

片づけたくても、片づけようとしても、「身体が動かない」と言う。

動けない。

動かない。

身体は、常に、自分の「心の味方」というのが、私の持論。

身体が動かないのは、「動きたくない心」があるから。

「動きたい」心の領域よりも、「動きたくない」心の領域の方が大きいから。

身体は、常に、心に寄り添ってくれる存在。

であるならば、身体が「動かない」のは、心の中を探ってみる必要がある。


あるセミナーの受講生さんの話。

自分が、少しずつ断捨離を始めたら、夫もはまり、夫は、せっせと、イソイソと、嬉々として、やっている。

当然、結果は早い。

それに引き替え、この私は、・・・と思ったら、突然、身体が動かなくなった。

夫に対して、申し訳なくて、申し訳なくて。こんな私でと、申し訳なくてと思うと、なおさら、身体が動かなくる。

夫の理解や協力に対して、喜びや感謝よりも、「申し訳なさ」の方が生じる。


やました、こう思うのですよ。



それは、片づけられない自分を、ずっとずっと自分で責め続けてきたから。

それは、子供の頃から、家族や周囲に、片づけられないことを、責め続けられてきたから。

だから、自分のはかばかしくない進捗具合と、夫の達成具合の差が、なおのこと辛く映る。

「申し訳なさ」の思いの背後には、実は、それ以上に「自分を責めないで」という思いが潜む。

身体が動かないのは、その責めに対する無言の抵抗。身体をはっての反発。だから、身体が動かない。

身体を、動かしたら、自分は、その責めに、屈服したことになるから。

でもね、夫は、責めている訳ではないのですよね。
少しは、あるにあるにしても。

だったら、それは、一人芝居。自分で自分を責めている一人芝居。

やっかいなのは、この一人芝居が無意識の領域で行われていることに自分で気づいていないこと。

けれどね、それに気づけば、そしてね、一人芝居であるからこそ、自分で、その芝居を、いつでも止めることができるのです。
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# by takei56 | 2012-11-19 10:20